システム思考と共創的合意形成:複雑適応系におけるレジリエントな介入戦略
はじめに:複雑性を増す現代における合意形成の新たな地平
現代社会は、気候変動、パンデミック、技術革新の加速、グローバル経済の変動といった多岐にわたる複雑な課題に直面しております。これらの課題の多くは、単一の原因に帰結するものではなく、相互に絡み合う多数の要素が動的に作用し合う「複雑適応系(Complex Adaptive Systems: CAS)」として捉えるべき性質を持っています。このような状況下での合意形成は、従来の線形的な思考や要素還元的なアプローチでは本質的な解決に至ることが困難であると認識され始めています。
本稿では、システム思考の視点を取り入れることで、複雑適応系における合意形成プロセスをより深く理解し、レジリエント(回復力と適応力のある)な介入戦略を構築するための理論的枠組みと実践的示唆を探究いたします。高度な専門知識と実務経験を持つファシリテーションコンサルタントや組織開発のプロフェッショナルの方々に向けて、学術的知見に基づいた深く、有益な情報を提供することを目指します。
システム思考の核心と合意形成への応用
システム思考は、個々の要素だけでなく、それらが互いにどのように関連し、全体としてどのようなパターンや振る舞いを生み出すのかという構造に焦点を当てる思考法です。合意形成の文脈においては、以下の点が重要になります。
1. 要素還元主義からの脱却と全体論的視点
従来の分析では、問題解決のために事象を細分化し、個々の要素を最適化するアプローチが取られがちでした。しかし、システム思考では、問題の原因が単一の要素にあるのではなく、要素間の相互作用やフィードバックループといったシステム全体の構造に潜んでいると考えます。合意形成においても、表層的な意見の対立だけでなく、その背景にある関係性、組織文化、潜在的な価値観、権力構造などを全体として捉えることが不可欠です。
2. フィードバックループの理解
システム思考の中核概念の一つがフィードバックループです。システム内で生じた結果が、再びシステムの入力に影響を与え、さらなる変化を引き起こす循環的な因果関係を指します。 * 強化型フィードバックループ(雪だるま式ループ): ある変化が増幅され続けるループ。例えば、成功体験が自信を深め、さらなる挑戦を促すといった正のループや、不信感が不信感を呼び、関係性を悪化させる負のループがあります。 * バランス型フィードバックループ(目標指向型ループ): システムを特定の目標状態に維持しようとするループ。例えば、組織内の意見対立が一定レベルに達すると、それを緩和しようとするメカニズムが働く場合などがこれに該当します。
合意形成の場において、参加者の発言や行動がどのように相互作用し、どのようなフィードバックループを形成しているかを洞察することは、介入のタイミングや内容を決定する上で極めて重要です。例えば、特定の意見が過度に強化されるループや、対立が固定化されるバランス型ループを早期に特定し、介入することで、より建設的な対話へと導くことが可能になります。
3. 遅延(タイムラグ)と非線形性の認識
システムの因果関係には、しばしば遅延が存在します。今日の介入が、数週間後、数ヶ月後に予期せぬ結果を生むこともあります。また、入力と出力が比例しない非線形的な振る舞いも一般的です。合意形成プロセスにおいても、表面的な進展が見られない期間の後に急激な変化が生じたり、小さな介入がシステム全体に大きな影響を与えたりすることがあります。これは、ファシリテーターが短期的な成果に囚われず、長期的な視点とシステムの潜在的な動態に対する感度を持つことの重要性を示唆しています。
複雑適応系(CAS)としての合意形成の場
組織やコミュニティにおける合意形成の場は、しばしば複雑適応系(CAS)として機能します。CASは、多数の相互作用するエージェント(この場合は参加者)によって構成され、以下の特性を持ちます。
- 自己組織化(Self-organization): 外部からの明確な指示なしに、システム内部の相互作用から新しい構造やパターンが自然発生する現象です。合意形成の場においても、特定のテーマに対して自然発生的に意見グループが形成されたり、リーダーシップが非公式に現れたりすることがあります。
- 創発(Emergence): 個々のエージェントの特性からは予測できない、システム全体の新しい特性や振る舞いが現れる現象です。対話の中から、個々人の知識や経験を超えた新しいアイデアや解決策が生まれることは、合意形成における創発の好例と言えます。
- 非線形性(Non-linearity)と予測不可能性: 小さな入力が大きな結果を生んだり、その逆が起こったりします。システムの振る舞いを完全に予測することは困難です。
- 適応性(Adaptability): 環境の変化に応じて、システムが自らの構造や振る舞いを変化させる能力です。合意形成プロセスにおいても、予期せぬ情報や事態に対応し、柔軟にアプローチを修正していくことが求められます。
CASとしての合意形成を理解することは、ファシリテーターが「システムを制御する」という従来の考え方から、「システムと共に踊る」「システムの変化を促す」というパラダイムへと転換する示唆を与えます。
共創的合意形成におけるレジリエントな介入戦略
システム思考とCASの理解を踏まえることで、合意形成におけるレジリエントな介入戦略を構築することができます。
1. 単一ループ学習から二重・三重ループ学習への促進
クリス・アージリスとドナルド・ショーンの学習理論は、組織学習の深さを表します。 * 単一ループ学習: 既存の目標や規範を変えずに、行動や戦略を修正すること(例:会議の進め方を改善する)。 * 二重ループ学習: 既存の目標や規範そのものを見直し、再構築すること(例:なぜこの会議を開くのか、その目的自体を問い直す)。 * 三重ループ学習: 学習する主体(組織や個人)の学習方法や前提にある価値観・世界観そのものを見直すこと。
システム思考は、特に二重ループ学習および三重ループ学習を促進する強力なツールとなります。参加者が既存の前提やメンタルモデルを自覚し、それらがどのようにシステムの振る舞いに影響を与えているかを洞察する機会を提供することで、より深いレベルでの合意形成と変革を促します。ファシリテーターは、単に目の前の問題を解決するだけでなく、問題を生み出しているシステム構造と、その構造を支える参加者のメンタルモデルへの気づきを促す役割を担います。
2. レバレッジポイントの特定と介入
ドネラ・メドウズは、システムにおいて小さな介入で大きな変化をもたらしうる場所を「レバレッジポイント」と呼びました。メドウズはレバレッジポイントを12段階の階層で示しており、単なる数値調整(例:予算配分)よりも、システムのゴールやパラダイム、そしてそのパラダイムを支える超越的な力(自己変容)といった上位のレバレッジポイントへの介入が、より大きな効果を持つと述べています。
合意形成の場では、表面的な意見の調整に終始しがちですが、システム思考を用いることで、問題の根源にある構造やメンタルモデル、あるいはシステムの目的そのものといった、より高次のレバレッジポイントを特定し、そこへ介入することを目指します。例えば、対立の激しいグループにおいて、個々の意見の主張の背景にある共通の願望や価値観を発見させることが、パラダイムシフトをもたらすレバレッジポイントとなる場合があります。
3. 多様性と冗長性の活用
CASのレジリエンスは、その内部に存在する多様性と冗長性によって高まります。異なる視点、意見、専門知識、文化を持つ多様な参加者が存在することは、システムが予期せぬ事態に対応するための選択肢を増やし、単一の故障点に依存しない頑健性をもたらします。
ファシリテーターは、この多様性を意図的に尊重し、それぞれの意見が十分に表明される場を創出することが重要です。また、冗長性とは、特定の機能が複数の要素によって担われている状態を指し、一つの要素が機能不全に陥ってもシステム全体が破綻しないための仕組みです。合意形成プロセスにおいても、単一の決定経路に固執せず、複数のアプローチや代替案を並行して検討するような「緩やかな構造」を許容することが、レジリエンスを高める戦略となり得ます。
4. プロセスの動的モニタリングと適応
CASの予測不可能性を前提とすれば、計画通りの進行を盲目的に追求するのではなく、プロセスの動態を継続的にモニタリングし、状況に応じて介入戦略を柔軟に調整することが不可欠です。これは、アジャイル開発における「検査と適応」の原則と共通するものです。
ファシリテーターは、参加者の非言語的なサイン、議論の空気感、予期せぬ意見の出現などを注意深く観察し、フィードバックループの生成や、システムの新しい創発的な振る舞いを見逃さないようにする必要があります。そして、必要に応じて、議論のテーマを深掘りする、休憩を挟む、グループ構成を変更する、あるいは議論の目的を再確認するなど、即興的かつ意図的な介入を行うことで、システム全体の適応学習を支援します。
具体的なファシリテーション技術への応用
上記のようなレジリエントな介入戦略を実践するために、いくつかの具体的なファシリテーション技術が有効です。
- 因果ループ図(Causal Loop Diagram: CLD)の共創的作成: 参加者と共に問題の背景にある要素間の因果関係を視覚化することで、共通のシステム構造理解を深めます。これにより、表層的な事象レベルの議論から、より深い構造レベルの議論へと移行し、レバレッジポイントの発見を促します。
- アイスバーグモデル(Iceberg Model): 事象、パターン、システム構造、メンタルモデルという四つの階層で問題を捉えるフレームワークです。ファシリテーターは、参加者が「なぜそのような事象が起こるのか」「その背後にある構造は何か」「どのような前提がその構造を維持しているのか」といった問いを通じて、深いレベルの洞察を促します。
- シナリオプランニングとバックキャスティング: 不確実性の高い未来に対応するため、複数の未来像(シナリオ)を描き、望ましい未来から現在を逆算して、今とるべき行動を導き出す手法です。これは、システムが取りうる多様な経路を考慮し、レジリエントな戦略を共同で構築するために有効です。
結論:システム思考が切り拓く合意形成の未来
システム思考に基づく共創的合意形成は、複雑性を増す現代において、単なる意見の集約や妥協を超え、参加者全員がシステムの動態を深く理解し、より持続可能でレジリエントな未来を共創するための強力なアプローチを提供します。
専門的な知識と経験を持つファシリテーションのプロフェッショナルにとって、この視点を取り入れることは、既存手法の限界を超え、より難易度の高い、変革を伴う合意形成プロセスを設計・実行する上で不可欠なスキルとなるでしょう。今後、学術研究と実務実践のさらなる連携を通じて、システム思考を基盤とした合意形成の理論と実践が深化し、より多くの組織やコミュニティにおいて、複雑な課題解決に貢献していくことが期待されます。